美鶴に声を掛けてみると提案したのはツバサの方だった。
里奈が美鶴に会いたがっているのはもうだいぶ前から知っている。美鶴の家の住所を聞いてきてくれないかと頼まれてもいる。だがツバサは、その願いを叶えてやってはいない。曖昧な態度しか示さない美鶴の行動を無視してツバサが勝手な行動をするべきではないと思っているからだ。
それは、間違った判断ではないだろう。だがツバサは、なぜだか後ろめたさを感じている。
私、シロちゃんを悩ませたいって思っているのかな?
それは、里奈がコウの元カノだから、か?
そんな事ないのに。
自分はそんな醜い人間ではないという証明が欲しい。だから何としても里奈の願いは叶えてやりたい。だから美鶴をクリスマスパーティーに誘った。だが、断られてしまった。
「ごめんね」
謝るツバサに里奈は笑う。
「いいよ、なんとなくわかってた」
「別に美鶴は、シロちゃんと会うのが嫌だから来なかったワケじゃないと思うよ。美鶴も何か予定があるらしくって」
「うん、わかってる」
笑いながら答える里奈の顔が虚しい。
シロちゃん、本当にわかってるのかな?
なんとなくモヤモヤとした気分で空を見上げた。
晴れている。ホワイトクリスマスにはなりそうもない。
「シロちゃん、プレゼントは何貰ったの?」
「チョコレート」
「食べ物か」
「一つ食べたけど、美味しかったよ」
ニッコリと笑う里奈は可愛い。本当に可愛くて、だからまたコウが心変わりしてしまうのではないかと、少しだけ不安になる。
疑っちゃいけない。
強く言い聞かせ、もう一度空を眺めた。
「後で私にも一つ頂戴」
「え?」
「チョコレート」
里奈は子犬のような瞳をクリクリとさせて笑った。
「いいよ」
里奈が欲しかったのは、チョコレートなどではないのだろう。
星が小さく瞬いた。
シロちゃんと美鶴、早く仲直りできればいいのに。
純粋にそう思うツバサの横で、里奈はぼんやりと空を見上げた。
美鶴、何の予定があったんだろう?
この空の下のあちこちで、大勢が賑やかに聖夜を楽しんでいる。その中に美鶴もいるのではないかと思うと、里奈の胸はなぜだか苦しくなった。それは、自分の知らないところで美鶴が楽しんでいるのではないかという憶測に対する嫉妬、だろうか?
小さく唾を飲む。
ずっと、会いたいと思っていた。会いたい一心で施設を抜け出したりもした。ツバサや、元カレの蔦康煕にも協力を頼んだ。今でも会いたいと思っている。思っているはずだ。
言い聞かせる自分に、不安を感じる。
なぜそんな事をわざわざ自分に言い聞かせるのだ? 美鶴に会いたいのは当然だろう。
中学二年の途中まで、二人はずっと一緒だったのだ。里奈はいつでも美鶴を必要としていた。今でもしている。誤解が絡まり合い、今は離れ離れになってはいるが、会って話し合えば誤解も解けるはずだ。だから会いたい。
自分は美鶴に会いたいのだ。
強く言い聞かせるのに、見上げる夜空には別の姿が薄っすらと浮かぶ。
金本くん。
なんでこんな時に金本くんが出てくるのよ。
大きく息を吸い込むと、肺に圧迫を感じる。
胸が苦しいのはそのせいだ。
そう納得する自分の横で、別の自分が小さく呟く。
美鶴は、金本くんと一緒に居るのかな? 用事って、金本くんとの用事なのかな? だから唐草ハウスには来れなかったのかな?
金本くん、美鶴の事が好きなんだよね。
胸が苦しい。
美鶴が来てくれれば、こんな事、考えなくても済んだのに。
美鶴が唐草ハウスのクリスマスパーティーに来てくれればいいのに。そう思っていたのは間違いない。だが、それはなぜ?
背後の建物は、相変わらず賑やかだ。
「こんな所に居たの」
背後の声にも振り返らない。ただぼんやりと対岸を眺める。
埠頭。出入りする、あるいは停泊している船やらタンカーやらの明かりが瞬く。それらは、見方によってはまぁ幻想的で、ロマンチックではなくもない。クリスマス前夜ということもあり、辺りにはカップルの姿もある。
もっとも、彼らの本命は埠頭の明かりなどではないはずだ。もっとよく見える場所へ行けば、黒山の人だかりというヤツなのだろう。
くだらないな。
「急にいなくなっちゃうんだもん。心配したのよ」
首に纏わりつくのもお構いなしで、霞流慎二は緩く瞬く。
「よくここがわかったな」
「今はGPSっていう便利な機能もあるのよ。アタシから逃れるなんて、無理ムリ」
「別に逃げたワケじゃない」
逃げるなんて、なんでそんな面倒な事をしなければならない?
卑猥に笑む口元を無視して、背後の人物は甘ったるく身を寄せる。
「じゃあ、どうしてこんなところに一人で居るの?」
「別に。気が向いたからさ」
「なぁに? 思い出? 甘いクリスマスの思い出でも?」
「まさか」
鼻で笑う。そんな品の良い思い出など、持ち合わせてはいない。
そうだ、そんなものはない。当時は幸せだと信じて疑わなかった愛華とのクリスマスですら、今となっては陳腐な記憶でしかない。
ならば、なぜ俺はここに居る?
「私、霞流さんの事が好きなんです」
なんて面白味の無い展開なんだ。
ベンチの背凭れに左肘をのせる。
「私はそのジョーカーを、ハートのエースに変えてみせますっ!」
まったく、聞いているこっちが恥かしくなる。マンガの主人公にでもなったつもりか? くだらない。
背後から絡みつく腕に髪の毛を弄ばせる。させるがまま。抵抗するでもない。
今頃、あの屋敷で木崎やら使用人たちと豪勢な食事でもしているのか? ふん、俺を振り向かせるだなんて豪語するから少しは期待してみればこのザマか。呆れて腹も立たない。木崎たちを手懐ければ俺を追い込めるとでも思っているのか? くだらない。今時、中学生でもそんな手は使わない。
「ねぇ、クラブに戻ろうよ。寒いよぉ」
轟音の鳴り響く完全会員制のクラブとは対照的。冷気が不規則に頬を叩き、静寂がその心を抉る。
「戻りたいなら一人で戻れ」
「っんもう!」
背後からガバリと抱きしめられ、視界が大きく揺れた。だが、慎二はされるがまま。
それがいい。
ほんの少しだけ空を仰ぐ。
人との関係なんて、そんな程度で十分だ。
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